古い建物を活用した家づくり  大きな吹き抜けのある住まいに蘇った 古い木造の校舎

富山県氷見市に、ひときわ目を引く家があります。 古い木造校舎を飲み込んだような家の外観は、周囲を圧倒しています。 この家が生まれた背景には、依頼主の並々ならぬ思いがありました。

日ごとに募る思いを 実現するための苦闘が始まる

古い木造の校舎と出会う

「近くに、古い大きな建物がありました。ずっと以前、木造2階建ての小学校を移築したものでした。壁は傾き、雨漏りがひどく、床板は虫が食い、歩けばぎしぎしと音がしました。けれど何度もこの建物の前を通っているうちに、私はしだいに愛着を感じ始めていました。それは何か懐かしいものに癒されるような感情だったと思います」

そう語るのは、今回の依頼主であるSさん。特にSさんの心を捉えたのは、むき出しの大きな黒い梁でした。「それはとてつもない存在感で迫ってきました。檜なのか松なのか、こんな大きな梁は今ではもう手に入らないと思いました。目を閉じると、梁になる前の青々と枝を広げた大木が現れました。たしか、校舎と運動場の境にも、これに似た大きな木が生えていた...。すると、学校の廊下はどうだっただろう、教室は、壁は、柱は...と、次々に記憶が蘇ってきました」


空想の世界を現実のものにしたい!

そのうちにSさんは、この建物を自由自在に改造する空想をするようになったといいます。「梁と梁に囲まれた2階の床を取り払って、穴を開けてみたらどうだろう。さらにもう一列穴を広げたら...。すると、2階の天井まで見通せる大きな吹き抜けの空間が現れました。北側の壁全体に大きな窓をつくったら、子どもの頃に遊んだ裏山が見えました。今度は吹き抜けの真ん中に階段を付けてみると、南側の正面に、白雪の残る立山連峰が見えました。そんな空想を繰り返しているうちに、新しく生まれ変わった私の住まいが見えてきたんです。このまま壊してはならない。私の住まいとして生まれ変わるべきだと思いました」

Sさんはこの建物を買い取り、自分の敷地内に移築しました。この建物にとって、2回目の移築でした。ばらばらになった柱や梁はどうにか復元しましたが、あちこち補強だらけの痛々しい姿でした。(「その時」がくるまで、こいつには頑張ってもらわなければ...)

大改造へ向けて

それから数年経ったある日、この地方を台風が襲いました。心配になったSさんが様子を見に行ってみると、移築した建物はぎしぎし揺れていました。Sさんはその時に腹をくくりました。「よし!いよいよつくり替えるときがきた」。

そこでSさんは、まず地元の大工や建築会社に相談しましたが、
「壊して建て替えた方がずっと経済的で、住みやすいものになりますよ」
「やれないことはないが、この規模だと、1億円近くはかかるだろうな」
など、どこからも同じような答えが返ってきました。「やはり、無理な相談なんだろうか」と、行き詰まりかけたSさんでしたが、それでも諦めることはできませんでした。(あの大きな梁を見ながら、私が幾度となく空想した世界。私と私の家族が大きな梁に抱かれた空間。やはり、諦めるわけには...)

古い木造校舎を 大改造、建築家の奮闘を追う

小学校のころ「建築士になるのが夢」と 書いたご主人の家づくりは...?

解決への扉は意外なところから開かれました。Sさんの甥が石川高専建築学科に在学中で、その甥を通じて同校で教鞭を執る河内浩志教授の耳に入ったのです。古い木造の校舎を住まいに大改造するという奇想天外な話に、河内教授は「これこそ、学生たちに教えるべき生きた学問かもしれない」と感じたそうです。

河内教授はさっそく現地を見に行きました。「なんだ、この建物は!」最初に口を突いて出たのがこの言葉でした。柱や梁は大きな部材を使っていますが、構造の組み方がデタラメ。きっと2回も移築したからでしょう。これでは大工や工務店が尻込みするのも無理はありません。

「この大改造は、高専の建築学科だけではとても無理だ。デザインや構造の解析はできるだろうが、たぶん非現実的な工事費になるだろう」。建物を前に、河内教授はこれからの展開を考えました。
河内教授は石川高専建築学科の卒業生からは、設計段階で思い切り夢を膨らませても、現実はいろんな制約に阻まれて夢を断念している例がとても多く、中でも一番の障害は、やはり予算面だということもよく聞いていました。そこで河内教授は、建築を現実の経済と一体で捉える、「建築マネジメント学」のような授業が必要だと考えていました。そこでは、単なるコスト管理だけではなく、依頼主、建築家、職人などの関係も捉え直す必要があると思っていました。


河内浩志(こうちひろし)
石川高専建築学科教授/工学博士
1954年 兵庫県市生まれ
京都大学大学院工学研究科博士後期過程終了
専門分野/建築施設整備計画、建築デザイン、建築史


山田雄一(やまだゆういち)
スタジオM/
(株)みずほ建築事務所所長
1967年 石川県生まれ
国立石川高専建築学科卒業
(社)石川県建築士会青年委員長他


この大改造の設計監理、そして施工を高専の授業に組み込むことができたら、なんて素晴らしいだろう。大工や工務店も尻込みしているこの古い木造校舎。プロができないといっている障害を、一つひとつ乗り越えていく過程を学生たちに見せ、学生たちも問題解決の主体者として関わる。まさにこれこそが生きた授業だ...。そう考えた河内教授は、強力なスタッフとなる人材に参加を要請しようと考えました。それは、高専OBで設計事務所を経営している山田雄一さんでした。山田さんにとっても、母校の建築学科と共同で設計監理の仕事をするのは願ってもないこと。こうして氷見の大改造プロジェクトが動き始めました。

必要不可欠な事前調査 必要不可欠な事前調査

古い大きな建物の現地調査が始まりました。河内教授(建築計画学)と同僚の教授(建築構造学)、そして山田さんと事務所のスタッフ、さらに学生たちが加わりました。敷地や建物を実測し、現状を図面に再現する作業です。

新築住宅の工事費は、規模や形からある程度の精度で推定できます。ところが、既存建物の改造費は、現状を正確に把握し、基本計画がある程度固まらなければ、工事費を算出することはできません。そんな場合、依頼主と設計事務所は、事前に「調査、企画業務」の契約を交わし、計画の実現性を見極めた後に、「建築士業務委託契約」を交わすことが多いのです。いかにプロでも、設計監理に対する与条件が整理されなければ、何も算出することはできないからです。

依頼主としては、計画の実現性が不明な時点での出費は避けたいところですが、事前調査費用を惜しむと調査不足による追加等が発生し、後にそれ以上の出費を余儀なくされることがあります。また、不確定な要素が多い場合、施工業者はどうしても安全率を見込んだ金額を入れるので、結果的に高い金額となります。しかも、実際は安くできたからといって、施工業者が工事費の一部を依頼主に戻すことなどけっしてありません。


困難な課題

Sさん夫妻、年老いたご両親、大学を終えたお子さんの3世代が住むとしても、この建物は大きすぎます。そこで、床面積を減らすためどこかに大きな吹き抜けをつくることに。ただ、一般的な木造住宅の階の高さは3m弱ですが、この建物は4mもあり、2階建てでも3階建ての高さに匹敵します。この建物の真ん中に吹き抜けを設けるとしたら、まるでどこかのコンサートホールのような迫力になります。新築の家なら、こんなに大きな吹き抜けの建物は考えないでしょう。

一般的に、大きな吹き抜け空間をつくるほど、耐震強度は落ちます。それでなくても補強だらけの建物を、どのように耐震補強すればいいのでしょうか。しかも、周囲4方をバランス良く。これが、最も難しい課題でした。しかし条件が厳しいほど、鮮やかな解決方法も見つかるということを、建築家は体験的に知っています。条件が困難であるほど、一般解では解けません。その建物固有の特殊解を見つけ、それが合理的な考え方に則ってデザインと構造に結びついたときに、建物は見事に蘇ります。

鮮やかな解決

建築家は、頭で考えるよりも手で考えることが多い職業。浮かんだアイデアを模型で確認し、時には構造的に可能な形を探すために、柱や梁だけの構造模型をつくることもあります。今回の大改造では、模型づくりに高専の学生が大活躍しました。

さて最大の難問である「耐震補強をどのように行うか」について。採用された案は、建物の4隅を鉄筋コンクリートの壁でがっちりと固める方法で、これが鮮やかな解決策となりました。木とコンクリートを組み合わせることで、長方形総2階の単純な形にメリハリが生まれ、建物の表情も豊かになりました。上から加わる荷重を大きな木造の梁が支え、地震や台風のときに横から加わる荷重をコンクリートの壁が受け止めるという、とても合理的な考え方です。山田さんの設計事務所と石川高専建築学科のコラボレーションが見事に功を奏しました。


実施設計は足で考える 実施設計は足で考える

基本設計には高専の建築学科の学生も参加しましたが、実施設計となるとやはり学生には無理があります(よほど時間があれば別ですが)。そこで、実施設計は山田さんの設計事務所が行い、比較的簡単な図面を学生が手伝いました。

難易度によって、施工金額が大きく変動しますから、実施設計では中央の吹き抜け空間をつくるにあたり、この点を考慮しながら、2階床の梁の架け替方法を検討しました。

設計する場合、机上の検討では結論を出せないことがあります。山田さんは、ときには建築学科の構造の先生や大工を伴い、何度も実際の建物を見に行きました。基本設計では模型を作るなど「建築家は手で考える」存在ですが、実施設計の場合は「建築家は足でも考える」と言うべきかもしれません


大きなプロジェクトに 新しいシステムで臨む

オープンシステムによる見積りと業者選定へオープンシステムによる見積りと業者選定へ

一般的に、設計事務所に設計監理を依頼する場合、通常は建築業者(元請け)に見積りを依頼し、予定価格に納まればその業者に工事全体を依頼します。これを建築工事の一括請負といいます。

一方この大改造では、工事を業種ごとに分解して、専門工事業者に見積りを依頼するオープンシステム方式を採用しました。建築業者(元請け)が工事全体を一括で請負っても、工事現場で汗を流して仕事をしているのは、すべて「下請け」といわれている業者や職人たち。この大改造では、元請けを経由するのではなく、実際に施工を行う人たちと直に契約をしようというのです。

約50の専門工事業者が見積りに参加、提出された見積りを山田さんと依頼主のSさんで詳細に比較検討し、18の業者に分割して発注しました。その結果、このプロジェクトが動き始める前、相談に乗った業者が大雑把に答えた金額のざっと半分で工事を行うことができました。


リスク調整リスク調整

オープンシステムで見積りする際、けっして見落としてはならない項目がリスク調整費です。膨大な項目から成り立つ建築工事は、いくら建築家や専門工事業者が丹念に見積っても、見積り切れないすき間が存在します。現場で発生するゴミの処分費用や仮設で使う光熱費、あるいは、予期できない近隣対策費用などです。また、このような改造工事だと、リスク調整費は新築工事に比べてさらに増えます。事前調査では把握できなかった構造の傷み、補強に要する費用などです。

この工事では、リスク調整費を工事費の4%として計上しました。ちなみにリスク調整費は予期せぬ事態が発生したときにのみ出費されるので、何も起きなければ出費は発生しません。


リスク調整

思い出の品

昔、Sさんの敷地内に大きなケヤキの木がありました。台風でその木が倒れたあと、Sさんはその木を製材して大切に保管していました。いつか小学校を住まいに建て替える時に活かしたいという思いがあったのです。山田さんは、この木を仏間の床材として設計に組み込み、さらに、テーブルの材料としても利用しました。

もう一つ思い出の品がありました。昔の家の天井にはめてあった格子状の木材です。これも、Sさんがこの大改造で使おうと、大切に保管していました。山田さんはこれを照明器具として再生させました。「思い出の品を設計に組み込むのは、住む人にとってとても大事なことだと思います。建築家はその工夫を楽しむくらいでなければ」と山田さんは言います。

夢の実現〜Sさんの談話

昔、Sさんの敷地内に大きなケヤキの木がありました。台風でその木が倒れたあと、Sさんはその木を製材して大切に保管していました。いつか小学校を住まいに建て替える時に活かしたいという思いがあったのです。山田さんは、この木を仏間の床材として設計に組み込み、さらに、テーブルの材料としても利用しました。

もう一つ思い出の品がありました。昔の家の天井にはめてあった格子状の木材です。これも、Sさんがこの大改造で使おうと、大切に保管していました。山田さんはこれを照明器具として再生させました。「思い出の品を設計に組み込むのは、住む人にとってとても大事なことだと思います。建築家はその工夫を楽しむくらいでなければ」と山田さんは言います。

山田雄一さんとオープンシステムとの関わり

山田さんの体験と苦い思い 

山田雄一さんは、石川高専の建築学科を卒業し、東京の中堅ゼネコンに入社。建築業界全体がバブル景気へと向かう時期、ゼネコンの体質は大きく変貌していきました。受注が増え、それに対応する技術者が不足するため、受注物件はできるかぎり下請けに振りました。山田さんたち建築技術者の仕事も、受注した物件を「丸ごと下請に発注する手配」が中心に。「建物を建築するはずのゼネコンは商社ではないはず...」それが、山田さんが抱いた大きな疑問の始まりでした。

やがてバブルが崩壊。郷里で設計事務所を継いだ山田さんは、改めて「建築」を見つめたのです。かつて席を置いた中堅ゼネコンは、1億円で受注したものを8,000万円で下請けに割り振り、差額の2,000万円を利益として得ていました。下請けに割り振る金額を下げるほど、元請けの利益は大きくなります。バブル崩壊後の建築業界は、こういった構造が一気に加速、元請けはぎりぎりの金額を、ときには限界を超えて、できもしない金額を下請けに押し付けるようになりました。

「建築会社の受け取る報酬は、技術の対価として得るのが本来のはず。それでは、設計事務所はどうだろうか」山田さんが最も重要だと考えたのは、依頼主の思いを最大限実現させることでした。しかし依頼主の思いは、建築工事費を抜きしては語れません。設計はしたけれど、建築工事費は建築会社次第という現状では、けっして思いを叶えることはできないのです。

オープンシステムとの出会いと実践

そんな時、ある雑誌の記事に山田さんの目は釘づけになりました。「依頼主が工務店と価格交渉をするのは、弁護士なしで裁判を争うようなもの。依頼主の利益を守るシステムこそ我々のテーゼ」そう主張する建築士に触発された山田さん。依頼主の参加、価格の透明性、イコールパートナーなど、どの考え方も納得できるものでした。それがオープンシステムだったのです。

やがて山田さんは、オープンシステムによる住宅の設計監理を手がけるようになりました。ゼネコン時代の現場監督、郷里に帰ってからの設計監理、そのどちらの経験も活かされました。

オープンシステムでは何も隠すことがありません。駆け引きもいりません。価格も施工会社との関係も、すべてがオープンです。山田さんの心は晴れ晴れとしていました。

工務店に一括発注しなくても、専門業者と協力しあって建物ができます。山田さんは建築の楽しさを改めて実感することができました。同時に、山田さんは責任の大きさも感じていました。このシステムは、生半可な知識や経験ではできません。「コミュニケーション能力を含めた、総合的な人間力が試されると思うと、身が引き締まる思いです」と山田さんは語ります。

建築方針の概要

《平面計画》
1階:パブリック空間(LDK)、両親の部屋、仏間、和室  2階:中央を吹き抜けに 夫婦の部屋、息子の部屋
中央の吹き抜けに設ける階段に仕掛け(踊り場の下を利用)  巨大な吹き抜けが間延びしない仕掛け
《外観計画》
鉄筋コンクリートの耐震補強壁を4隅に配置  コンクリートと木の組み合わせ
軒先の下に庇を設け、屋根の表情を強調する
《断熱方法》
床、壁、天井にウールブレス(オーストラリア産)を使用(短すぎて捨てていた羊の顎の毛を断熱材として再生)
《既存建物の概要》
木造軸組み工法/小屋組みは木造トラス  敷地の北側は庭、南側は幹線道路、東側は水田、西側は建築主の敷地
長辺方向約20m、短辺方向約11mの長方形/階の高さは約4m/述べ床面積約440㎡(約133坪)
《依頼主の要望》
3世帯住宅(両親、施主夫婦、息子)  南側に立山連峰が見えるので、それを重視  大きな空間なので断熱性能を高く
プライベートな空間とパブリックな空間を分離  屋根の大胆な合掌作りを見えるように  強固な構造補強