秋田空港から1時間半、JR秋田駅なら1時間。車で北に走ると、男鹿半島の東に広大な沃野が現れる。ここはかつて、琵琶湖に次ぐ大きな湖、八郎潟を干拓してできた大潟村である。相模さんの家は、大潟村の住宅団地にある。周囲は別荘地と見間違うような環境で、どの家もゆったりとした広さで建っている。その中でも、ひときわ目を引くのが、相模さんの家だった。
概要を説明する。敷地の広さは407坪(1,346㎡)。最初4区画分を購入し、家の設計を始めてた。それからさらに2区画分を買い増して、計6区画分の広さになった。「ここはとても土地が安かったのです。1区画200万円弱。秋田市内で土地を求めるとしたら、同じ金額で1区画分も買えないかもしれません」と、奥さん。
家の広さは121坪(400㎡)。計画案をほぼ固めてから土地を買い増したので、もういちど始めから練り直し、当初の案より大きな建物になった。「企業の保養所か研修所と間違える人もいるようです。東西に長く南にデッキが張り出しているので、実際より大きく感じるのでしょうね。でも、皆さんが思うほど建築費はかかってないのですよ」と、設計・監理を手掛けた佐々木さん。記者は、5~6千万円の建物かと思ったが、実際は、佐々木さんの業務報酬料を加えても、3千万円台で収まったという。都市部では、40坪に満たない土地に、40坪の家を建て、数千万円のローンを組む、という話は珍しくないが、それに比べ、何とゆったりとした家づくりだろう。
温もり溢れるリビングにとけ込み、悠悠自適にのびる螺旋階段。
建て主の相模さんは、夫婦ともに小学校の先生(ご主人は現在中学校の先生に)。いくら学び学ばせることが本職とはいえ、家づくりに備えて読んだ本の量は半端ではない。 「私も家内も、積み上げたら背の高さをこえるくらい、建築関係の本を読みました。100冊は下りません。おそらく、専門書以外は、ほとんど読んだと思います」
これだけの本を読み漁った相模さん夫妻。いろんな住宅会社の見学会にも足を運んだ。
「でもね、なかなか納得できるものがなくて。そんなとき、たまたま図書館で手にした本が、私たちの運命を変えた、といっても大げさではありません。佐々木さんと出会うきっかけとなり、この家をつくりました。生涯で最も大切な出会いとなるかもしれません」
相模さん夫妻には、これまでに読んだ100冊以上の建築本の中で、強く印象に残った本が2冊あったという。
1冊は、松井修三著『いい家がほしい』。断熱方法の良し悪しと、適切な断熱を施した家の居住性の良さについて解説した本である。
もう1冊は、山中省吾著『価格の見える家づくり』。建築の工法や使用材料について書いた本は多いが、この本は、建て主と設計者と専門工事業者の関係性や関わり方について書かれていた。「ビビッときましたね。これだ!と思いました。私も家内も何回も読み返しました」と、ご主人。
家づくりについて、これほど勉強した相模さん夫妻であるが、意外なことに設計者の佐々木さんに要望したことは、たったひとつだけという。それは、洗たくの楽な家に、ということ。 共働きだから重要な要素ではあるが、それにしても、家づくりについて他にいろいろな思いがあったと思うが......。 「ほんとになかったのですよ。私たちがあれこれ細かいことを要望するより、佐々木さんの自由な発想に任せる方が、きっといい家になると思いました」と奥さん
何とも大らかな考えである。細かいことをすべて要望するのも建て主の考え方であり、重要なことだけ伝えて、あとは設計者の自由な発想に任せるのも建て主の考え方である。どちらが正解か。 それは何とも言えないが、相模さんの家には、設計者の佐々木さんが、伸びやかに大らかに創造の世界を乱舞し、その結果できあがった家を、家族みんなで楽しんでいる様子が伝わってくるのは確かだ。
取材をしながら、記者は思った。
学ぶとは何か。そして学んだことをどのように創造に結び付けるのか。人を育てる教育者も、家を創造する建築家も、深い次元で相通じるものがあると思った。
取材の途中でバーベキューパーティーが始まった。設計者の佐々木さんや、この家に関わった職人さんたちも参加する。
記者は、ペンを置いた。細かいことを漏らさず記録して紹介するのもひとつの方法だろうが、家づくりに関わった人たちと、飲んで語って、後で思い出したことだけを紹介するのも、またいいではないか。相模さんの家の良さは、その方が伝わるだろう。
2階のリビングに続く広いウッドデッキ。遥か遠くに広がるのは、大草原か畑か。夕暮れの明るさでは判別できないが、八郎潟を干拓した広大な沃野だ。近所の三浦さん家族が、自分で育てたトウモロコシを持参して、バーベキューパーティーに加わった。三浦さんご夫妻も学校の先生である。「相模さんの家は、建設中から気になっていました。ずいぶん大きな家なので、人目を引きますよね。すごいなあと思っていました」と三浦さん。後に三浦さんは、相模さんの家づくりを参考に「おーい」と呼べば聞こえる場所に家をつくった。設計・監理を依頼したのは、もちろん佐々木さんである。 広いウッドデッキがあるのは、三浦さんの家も同じで、家づくりに参加した人たちを交えたバーベキューパーティーは、相模家と三浦家の恒例行事となった。年に一度、互いの家の広いデッキで交互に行っている。 ご主人がキスの天ぷらを揚げた。内装職人が口をはさむ。「まるごと揚げたらだめだべ。ワタさ取らねば」。「んだら、おめ、やれ」と佐々木さん。「厨房貸すわよ」と奥さん。見事に三枚に下ろしたキスが揚がる。「んめー」と舌鼓。
日が落ちて暗くなり、ウッドデッキに照明が灯った。雰囲気が変わり、また別の趣に。 大工さんの奥さんが子どもづれで途中参加。玄関を通らず、デッキに続く庭の階段から顔をだす。相模さん、三浦さん、大工さんの3家族の子どもたちは、庭へ降りたりリビングへ行ったり、自由に駆け回っている。相模さんの家は、和風ではないから縁側がない。このオープンデッキがその代りをしている。近所の人たちが気兼ねなく出入りできるコミュニティーの空間。現代的縁側の機能といったところだ。
デッキから見える煙突を眺めて思いだした。薪ストーブの話の途中で取材を切り上げ、パーティーに合流したのだった。
記者の気持ちを察知したかのように、相模さんが言った。「煙突掃除はね、この家の屋根を工事した板金屋さんにお願いしているのですよ。年に1回、1万円の契約です。屋根に登るのは、私では危ないから」相模さんにとっての薪ストーブは、単なる暖房器具の一つではなく、自身や家族を見つめなおす大事な接点になっているような気がしていた。
もともと相模さんは、薪ストーブに関心があったわけではない。佐々木さんの設計した家を見学して、薪ストーブを知ったという。 「そのときは、なんとマニアックなことを。安易に導入して後で困ってはいけないから、慎重に構えなければと思いました」と、相模さん。しかし相模さんは、最終的に薪ストーブを導入する。
記者は「その決め手は?」と問おうとする自分を制した。自然環境が云々という話をするよりも、「薪ストーブを導入して、生活の何が変わったか」それを問うことが、より重要だと思ったからだ。
相模さんは語る。
「最初は、森林組合から薪を購入していました。今は、近くの山で伐らしてもらっています。春の雪解け前に山に入ります。チェンソーは1台つぶして、今は2台目です」 軽トラックで山へ入り、チェンソーで木を伐り出す。目の前の相模さんからは想像できないが、語る言葉は生き生きとしている。「木がどっちに倒れるか。これを見極めなければいけません。木が倒れる方にチェンソーを入れると、締め付けられて動かなくなります。もちろん危険も伴いますが、正直、楽しいです。山から薪を伐り出すとき、家族の冬の暖を自分が支えている、という実感が湧いてきます」
最後に、「この家の満足度は?」「もちろん、何の不満もありません」
図:相模さんの家の外観模型デザイン
縦横90㎝×180㎝、高さ150㎝に積んだ薪の単位を「1カマ」という。
相模さんの家でひと冬に消費する薪の量は6カマ。
今春、相模さんは山から4カマ切り出し、足りない2カマは森林組合から購入した。1カマ12,000円で購入できるので、24,000円がひと冬分の燃料費。
ご主人なら、マッチ1本と新聞紙1枚で焚きつけができるが、奥さんだと新聞紙3枚必要。焚きつけには、近くに落ちている松ぼっくりが最適らしい
幹の直径20㎝くらいの木を狙って伐り出す。これくらいの径なら薪割りをしなくてもだいじょうぶ。40㎝くらいの木は、薪割りがとても大変だという。春に切り出した薪はその冬に使えるが、もう1年乾燥させたものが最高らしい。